「TO SERVE TO STRIVE AND NOT YIELD」
これがO.B.Sの万国共通マークに掲げられているO.B.Sの基本理念である。
第1のTO SERVE。即ち奉仕。社会人として、人間として奉仕の精神を養う事。社会に役立つ人間であり、共同社会の中で愛を信じ、他人を尊び、お互いの人格を尊重することができる様になろうと唱えている。
第2のTO STRIVE。これは可能な限りの努力をしょうということで、現代社会の混乱した落ち着きのなさや、思考力、そして行動力を取り戻し、社会人として乗り越えなければならない多くの障害を自己が精一杯頭と体を使って努力することで何かやりとげようとする様に唱えている。
第3のNOT TO YIELD。即ち不屈。これは現代社会の柔軟な生活又、恵まれた生活環境の中でのチャレンジの欠如。又、逃避的な行動や思考をいましめ、自己が社会人、又、良き社会人としての厳しさに耐え、くじけることなく、より人間的に、又、良き社会人として成長していこうと唱えているものである。
上記の理念を基にO.B.Sのカリキュラムは考えられ(種々肉体的訓練を通じて精神力の強化につとめている)即ち、未経験に挑戦し、それを克服することによって種々目的を達成しようと考えられる。
[訓練と効果]
〓自己の発見
O.B.Sのどの学校も人里離れた地に設置されているし、又、それぞれのカリキュラムは現代文明から遠く離れた環境の中で行われるように企画されているため、生徒は自分自身で生きていかなければという意識と、又、相互に依存する気持ちが強くなり、それぞれのグループ内での責任を持った形で共同体を形成することになる。分明に侵されない大自然をバックにすることで、生徒たちはそれぞれが生きることの喜びと、又、そこにいる人間同士が信頼し、助け合わなければならないことを感じ始め、そのような刺激が新しい観点から自己を見つめさせることになる。
〓ストレスの抑制
O.B.Sにおいては抑圧を作り出す活用は哲理の基本的なもので、又、非常に重要な要素でもある。抑圧活動の中には、創造力テスト、ロッククライミング、ラップルその他肉体的挑戦を必要とするカリキュラムがあるが、そのカリキュラムを通じて、生徒たちは自分が思った以上に出来るという感じを持ち、これによって自分自身に対するイメージを変え、自信をつけることになる。さらに重要なことは、この抑圧はグループ内の団結を強固なものにすることになり、各自が責任を持って協力しなくては問題解決がなされないことを経験する。
〓自己対話
自己の肉体的・精神的恐怖に対する挑戦によって、その克服のための力を求めるため自己対話をし、又、自己の目標と価値観を得て、創造力が芽生えてくる。O.B.Sにおいてはソロと呼ばれているカリキュラムでこの目的を十分に達成している。即ち、「ソロ」とは恐怖に対する個人の劇的対決であり、個人はこの恐怖に打ち勝ち、自己意識を持ち、自己描写をすることになり、新しくより深い自己意識を持つようになる。
〓克服の喜びと新しい価値観の芽生え
すべてのカリキュラムによって困難なことを克服する喜びを生徒たちは感ずることになるが、特に最後のカリキュラムとして用意されている探険においては、それまでに学習し体験した技術を出来るだけ多く生かし、又、試すもので、ここでは文明社会が造った社会的障壁がすべて取り除かれ、個人の真の自然な強さと、そして弱さが現れる。野外環境の厳しさはまずグループの団結の強いものとし、相互依存の感情を強め、各人は自己及び他人について新しい価値観を持つようになる。更にこの探険が成功することによって大きな喜びとなると共に、その間に自覚した新しい価値観のすばらしさを体で理解することになるだろう。
アウトワード・バウンド・スクールの歴史
アウトワード・バウンド運動は、ドイツ生まれのクルト・ハーンの教育理論と、その実践の中から生まれてきた。クルト・ハーンは1933年ナチスドイツから追放されてイギリスに渡り、研究を続けたのである。
1941年ヒトラーの潜水攻撃で多くの若者が失われていくのを嘆いていた、ローレンス・ホルトの救済的援助を受けて、ハーンはアバドービーに初のアウトワード・バウンド・スクールを設立したものである。ローレンス・ホルトは撃沈された船の生存者に、年配の人たちが多いのに注目、生存の話を聞いてみると、若者たちは厳しい困難に出くわしたとき、生き抜こうという意志がまったくないために死んでしまったというのだった。そこでハーンの教育理論に着目してO.B.Sを作ったのである。
アバドービーに最初に産声上げたO.B.Sは第二次世界大戦中だったので、その目的も戦場で生き残れる若者を作る事にあった。しかし、戦後になると急速に発達した文明の中で、これにおぼれてしまわない者、強固な意志と忍耐を持って複雑な文明社会を生き抜いていける若者を育てる事が目的となった。
1946年には、いち早く財団が設立され、本格的な活動が開始された。
エジンバラ公が財団の後援者となって、1951年には海外初の学校がナイジェリアに開校、続いて1953年に西ドイツ、1954年にマレーシアと、次々にO.B.Sは世界各国に拡大していった。そして現在は、世界に30校余りが、積極的な活動を続けている。
ミニO.B.S とは
ミニO.B.Sとは、日本青年会議所が青少年開発の一環として取り上げたO.B.Sの導入過程の中で、実際に各青年会議所でこれを開校するに当たって問題になる、場所、日数、費用、インストラクター等の点から、対象年齢をO.B.Sのジュニアコースよりもう少し下げて、主に小学校生を対象に二泊三日の日程で日本向けに企画されたもので、現在高度に発達しまだまだエスカレートしようとしている物質文明の社会の中で、人間的・生理的にも、自然を無視する事が出来なくなってきた。そうした中で、戦後急速に変化したわれわれ日本人のさまざまに異なった価値観を、15年先のコミュニティーとして大きく期待される子供達に、決して押し付ける事なく、自己と対決する事によって人間の原点や尊厳を自覚させ、いかなる困難や危機にも自信を持って立ち向かう強い精神力と、骨惜しみない行動力を供えた若者に育つ様手助けをする事がわれわれ青年会議所の使命と考える。
この文明社会に育つ、子供達の肉体的・精神的衰えが各所で聞かれ、それに伴って各種スポーツサークルやフィールドアスレチック・ボーイスカウト活動が、盛んに行われる今日、この将来を担う子供達にアウトワード・バウンド・スクールの精神にのっとり、ぎりぎりまで不可能と、自分自身の限界に直面する機会を与えるO.B.Sの企画は、各地青年会議所で現実に活動しうる有意義なプログラムではないかと確信するものである。